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音楽療法と私。


◆音楽療法。

・・・告白。「私は、音楽療法を勉強していません。」…その宣言!?という感じですが…。

ただ、学んではいないけれど、過去に2度、私も音楽療法に興味を持った時期がありました。

一度目は、大学時代。音大を卒業すると、指導者や教員の仕事に就く人が多いですが、当時の私の視点は少し違っていました。私自身、音楽で安らぐことを実感していたので、「自分の奏でる音楽で人に安らいでもらえる仕事って、素敵だなあ。」とピアノ科の友人に話したら、「そんな綺麗ごとでは済まないと思う。現場は音楽の内容どうこうではなく、もっと別の次元のことが重要な環境だと思う。」というような意見を言われ、彼女の方が大人に見えました。何となく音楽療法という言葉に魅力を感じていただけなのかも知れない、と自分を省みつつ、音楽療法は私の心の中から徐々に薄れていきました。

2度目は、子育てをしんどく感じていた7,8年前。自分と娘のために、音楽による何らかの治療が必要と感じて、図書館で関連書籍を片っ端からめくった。知識を得るための勉強ではなく、自分にとっての答えを見つけるための飛ばし読み、探し読みでした。

…そして、心に飛び込んできた一つのエピソード。ある音楽療法士さんのセッション事例報告でした。

--重度の自閉症のR君は、自分の手をひらひらとさせていつもそれを見つめる。その行動が常で、療法士さんの働きかけには一切興味を示さない。音楽を通して関わろうとしても、R君の耳には入らないし、療法士さんの存在さえ見えていないかも知れない状況だった。何を試しても上手くいかず、療法士さんはひどく落ち込んでいました。

それがある時、療法士さんは閃きました。R君のひらひらさせている手を一緒に見ることから始めようと。そして出来上がった曲は、こんな感じでした。

見てごらん R君

聞いてごらん R君

ララララララ ララララララ…

楽譜に書かれたメロディーから、音楽療法士さんの優しい気持ちが伝わってきました。R君の手を一緒に見ながら歌う曲…。涙が込み上げてきました。

まず始めに、相手の立場に立つことからだと教えてもらいました。とことん寄り添うということ。気持ちに余裕がなくて、ついおろそかになってしまうけれど、それこそが必要で…きっと娘に対しても、それは同じだと。一つの答えを見つけた気がしました。

今年になってボランティア演奏を何度か経験しましたが、寄り添い相手の立場に立つと言う事がどれだけ難しいかを実感します。演奏を聴きたい人ばかりではない。楽器を触ってみたい人ばかりではない。歌いたい人、そうでない人、色んな人が集まっている場所で、何をしたら良いのか。一斉に何かをするというのは本当に難しく、全員が満足できることを提供できるはずもない。

まずは拍手をもらって自己満足で終わらないようにそれを肝に銘じることから。そして緊張から解放され、一日でも早く、求める人の心に響く音楽を奏でられるようになりたいなと思います。


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